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自分大好きファンタジーの人に注意

 

いい人=信用できる人ではない

以前の回で私は「信用できる人」「できない人」について述べてきました。

今まで私が会った人の中では、いわゆるスピリチュアルの人々というのは「いい人」が多かった印象があります。

一般の人と比べて、少し地に足がついていなくて理想的すぎますが、いい人の割合が多かったです。

「いい人」が多いというのは、人づきあいの面で安全だと言えないこともないですが、ここに落とし穴があります。

彼女たちに「いい人」が多いのは、彼女達が自分のやっていることに罪悪感を感じなくてもよいからです。

これには以下の構造ができているからです。

 

指揮官と機関銃手の関係

もしかしたらこの中にスピリチュアルカウンセラーと称する人にお金を払って、いろいろ診断したり占ってもらったりした方がいらっしゃるかもしれません。その際に、その手のカウンセラーが、「守護霊様に聞いてみますね」ということを言うのを聞いたことがあるのではないでしょうか。その手の人は、「守護霊様に聞いてみました!!守護霊様はあなたの今後について絶対に大丈夫だと言っています!!王子様も見つかります!!」とか言ったりします。

実はこの「守護霊様に聞いてみます!!」という仕組みこそが、術者が責任を負わなくても済むような心の装置なのです。

もし、そのとおりにうまくいかなくても、「私にはわかりませんが、これは守護霊様にも何かお考えがあるのでしょう。結果がすぐにでなくても、何か意味があるはずです。守護霊様を信じましょう!!」ということができます。

ここでキーになるのは、このカウンセラーは本人自身が自分のやっていることが悪いことだとこれっぽっちも思っていないことです。責任を全部守護霊と言っているものに丸投げすることで、自分たちが結果責任や道義的な責任から解放されているからです。このカラクリこそが、キャッチセールスなどとは違うところです。キャッチセールスなどはほとんどの人が自分がやっていることは悪いことだと認知しています。だから人相がだんだん悪くなっていきます。

責任と行為の分離

この責任と行為の分離というのは、指揮官と機関銃手の関係に例えられます。

第一次世界大戦で大量殺戮のシステムが完成されるのですが、その中でも猛威を奮ったのが機関銃でした。

機関銃はそれまでの戦争と異なり、たった数人の機関銃手が数百、数千の人を殺すことを可能にしました。

ここで多くの機関銃手は人を殺したという罪悪感を持つに至ります。この罪悪感をなくすために行われたのが、命令する者(指揮官)と実行者(機関銃手)の分離でした。

これによって、

命令する者(指揮官)は

指揮をしたのは私だが、実際に人を殺したのは機関銃

命令を受けた者(機関銃手)

殺せと命令したのは指揮官。私は銃の引き金を引いただけ

と思うことで自己正当化ができるわけです。

 

術者が責任を負わなくても良いシステム

賢明な方はこの時点でお気づきでしょう。この関係と全く同じなのが、守護霊と術者の関係なのです。

この場合術者が命令を受ける機関銃手と同じ立場になります。

「守護霊が〇〇言っているから必ず正しいのだろう。だから私は結果責任を負わなくていい」

と思えるのです。

 

つまりスピリチュアルの人に「いい人」が多いのは、罪悪感を感じていないから、自分のやっていることが「いいこと」だと思いこんでいる、あるいは思い込めるからです。

さらに突き詰めると、この「私はいいことをやっていると思いたい」というのが、スピリチュアルやっている人の目的であることが多いことがわかります。そう、多くのスピリチュアルの人にとっては、「自分大好き」というのが本人達の隠れた目的だからです。

 

自分大好きの人たち

スピリチュアルがなぜある時期に流行ったのか、という答えがここにあります。スピリチュアルというのは、端的に言えば、壮大な自己満足の体系だということです。「自分大好き」になりたい人が、スピリチュアルというツールを使うことで、自分自身に対して、「私自分のこと大好き」を体験できるようになっています。確かに、誰にも迷惑を掛けなければ問題ないのですが、スピリチュアルの人は往々にして客観性が失われているので、自分のやっていることが本当に役にたっているのか確認していないのです。