話に目的がなくてスペックばかりを語ってしまう
全体認知ができない
発達凸凹の人の中でもアスペルガー障害や高機能自閉症の人の傾向として、自分の知っていること、興味があることを延々と語り続けるが、他人にとっては「要するに何がいいたいの」という話をすることがあります。
以前には、自分の知っている野球チームのデータを延々と言い続けて、話しながら一人でずっと興奮している生徒さんもいました。
「〇〇の得点圏打率は.458だけど2016年は~~、2017年は~~」とか、データーをずっと一人で言い続けていました。
生徒ではなかったですが研究者タイプの人で、研究の発表でデータをずっと独り言のように箇条書きにして話し続け、それで発表が終わってしまうタイプの人がいました。
上記のタイプの人の特徴として、「多くの情報の中から優先度をつけて情報を取捨選択することができない」というのがあります。
固い言葉で言うと、「指向性をもって情報を受信・発信することができない」というものです。
目の前のデータを処理しないと次に行けない
定型発達の人は、脳の中の情報を類型化してひとつの概念にまとめたり、あるいはあるスキーマを作ってそれに当てはまるのと当てはまらないのを分けるということが自然とできるのですが、自閉症傾向の人の中にはその機能が欠けていたり、あるいは定型発達の人とは別の形で処理してしまう人がいます。
そのような人にとっては、現実の世界はデータがそのまま無限に目の前に何の関連性もなく広がっている状態です。
この状態はある種の特性の人にとっては、
・全体の行動の目的がないのに、ただデータを受信、発信しているだけで興奮している状態(本人は主観的には楽しい)
という人もいる一方、
・データの海に圧倒されて、データ全体を一つ一つ処理しないと自分が解放されない苦しい状態になるという人もいます。
もちろん問題になるのは後者の人が多いでしょう。こだわり行動もこれが原因の一つです。
理系の考え方に親和性がある
これらの人の認知の特徴としては「全体認知」ができない、というのが言えます。自分が行っている作業が全体として何をやっているのか、というのがわからないために、データを取捨選択することができず眼の前の枝葉末節にこだわってしまうのです。メタ認知ができないのです。
ある意味コンピューターの認知に似ているところがあります。コンピューターは眼の前の一つ一つは処理できるが、それが何をやっているのか理解することはできません。(ただし、AIの発達で、上位階層の「意味」を学習させることはできるようになってきました。)アスペルガー障害、高機能自閉症の人に理系研究者タイプが多いのは、彼らの認知の癖と要素還元的な自然科学的な世界観に親和性があるからだとも言えます。
常識に囚われない天才
現実を類型化されたイメージでフレーミングをかけて見ることができないのは、アドバンテージになることもあり、一般社会の常識(フレーミング)に支配されていないので、天才的な発想力を示す人もいます。天才タイプの発達凸凹の人の中にはこのような人が多いのでしょう。このような人達が人類社会を変えたきたのは事実です。
決まった支援方法は今のところはない
「指向性をもって現実を見ることができない」タイプにもいろいろいて、「これが解決策だ」というマニュアル的な解決策があるわけではありません。将来的には支援ツールやメソッドが整備されるとは思いますが、今のところ個別対応しないといけないです。ただし、大雑把に分けると、
・こっちが方向性を示したり、どこまでが考える範囲か指定すると「助かる」タイプ。自分では情報を絞り込めないタイプの人の中には、こちらが情報を絞り込んである程度目的を決めたほうが、何をしたらいいのかわかって安心する人がいます。
・こっちが方向性を示したり、どこまでが考える範囲か指定しても「聞かない」タイプ。こちらがいくら上記のような問題を抱えていても、こっちの助言を一切聞かないで勝手に「動いてしまう」タイプもいます。このタイプは介入しないほうがいいでしょう。ただし、介入はしてほしくないが、こちら側にいろいろと話をして自分の話を聞いてくれる事自体は歓迎し、聞いてもらえることで安心する人もいます。そのような人に対しては聞き役に徹してあげることだけでも良い支援になります。